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[告知] 初夏の音楽祭

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初夏の音楽祭
2006/06/20 (tue) 21:00 start
charge: 500yen
place: weird-meddle record
(札幌市中央区南2条西1丁目)
act:
  • 河口洋介ソロ(ギター)
  • 神田聡ソロ(ベース)
  • 古立太一ソロ(ポータブルCDプレイヤー)

河口洋介

今回この初夏の音楽祭で演奏するのは、2、3の音だけ使う曲です。いわゆる持続音というものでできた曲です。演奏にはエレクトリック・ギターとエフェクター(音を変えるためのもの)、複数の小さなアンプを使います。
このような演奏をするに至ったのにはいくつかの理由があります。ひとつは、あまり変化のない演奏をしたいからです。
もうひとつは、複数の小さなアンプは、それぞれ別なものですから、別々な音が出ます。そういったことも利用して演奏をしようと考えています。
ところで、「人前で演奏する理由は何だろう」という疑問がわいてきました。簡単に言ってしまえば、それはわたしの自尊心を満たすためです。僕には、歌うべきことがあるかのように歌う人も、本当をいってしまえば、自分と同じ理由なのではないか、と疑ってます。

神田聡

ピエゾピックアップの付いたアコースティックベースを用いて

  1. 押弦し
  2. フレットの真上に指を沿え
  3. 掌等で振動を抑え
  4. クリップ等で弦を挟み
  5. 物体を弦の上に置き
  6. なにもせず
  1. 弦を指で弾く
  2. 物体によって弦を擦る
  3. 物体によって弦を叩く
  4. 弦に指を接し、離す
  5. 物体によってボディを擦る
  6. 物体によってボディを叩く
  7. アンプスピーカーからの空気振動にボディおよび弦を共鳴、振動させる
  8. 電磁石を用いたEボウによって弦を振動させる
  9. ベースの近くで音を出し、ボディに共鳴させる
  10. なにもしない

上記の方法によって発生する音を20分程度の時間の中で配置するのが今回の自分の演奏です。時間内の配置方法については、独奏であるため音を重ねていって展開する、という手法をとることは難しく、ひとつひとつの音の時間的なつながり具合、あるいはつながらなさを感じさせるような20分になれば、とおもっています。

古立太一

音楽を聴く、とはどういうことなのだろうか。音を聴く、のとは何か違うのだろうか。音すなわち音楽、ではないということは確実であるように思われる。しかし、音は音楽として聴かれうる、ことも同様に間違いないと思われる。そこで、音楽とは音の聴かれ方の中の一つのバリエーションなのだと考えてみる。音楽は音に内包されるわけである。それではこの場合、音が音楽として聴かれる条件はなんなのだろうか。ヒトはどのような場合に音を音楽として聴くのだろうか。音楽が「音の聴かれ方」である以上、音から潜在的に内包されている音楽を取り出すのは聴取者だと考えられる。音楽は、もともと音であるが、意識的・無意識的な聴取者の判断によって音楽とされる。つまり、音楽は聴取者が作り出す?音にも音楽にもなりうる可能性を秘めた空気振動は、誰かに聴かれて初めて、音か音楽か決定される。まるでシュレディンガーの猫みたいだ。今回私が行うポータブルCDプレイヤーを用いた演奏は、音楽として聴かれるのだろうか。