満開の桜を見ると死にたくなる。自分の中では桜と死が深く繋がってるみたい。小さい頃に読んだ怪談の類で、桜の木の下には死体が埋まっている、とかいう話の影響だと思うんだけどね。もしそれが本当だったら花見の名所は巨大墓地ってことになるね。
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ここんとこしばらくローカルなRSSリーダーを使ってたので、DELLノートが役に立たない今現在ほとんどのサイトが巡回できてない。はてなアンテナしっかり登録しておけば良かったと後悔中。GmailやHotmail、アンテナサイトだとかの何が便利かって、ネットに繋がりさえすれば、どこにいても、どんな端末からでも(携帯からだと無理だったりするけど)ほぼ同じ環境が手に入れられることだと思う。そもそもネットワーク上にデータが保存されているので、複数マシンのデータを同期させるような面倒な作業も必要ない。って、これクライアント・サーバ・モデルなのか。今後このC/Sの流れはもっと加速して、家庭用パソコンはネットワーク接続機能のみを備えた超低価格クライアントマシンが主流になったりするんじゃなかろうか。そんでネットの向こう側のサーバが各種機能・アプリ・サービスを提供して、そこで利益を生む。本当にこうなりそうな気がしてきた。
さっきは脱力してるとか書いたけど、スピーカーをセッティングしてみたらめちゃめちゃやる気出てきた。ちなみに買ったのはBEHRINGER TRUTH B2030A。今まで使ってたYAMAHA MSP3とは比べものにならないくらい下まで良くわかるわー。音量上げても余裕が感じられる。むしろ、スピーカーがでかくなって出力も上がったせいで家族や近所への迷惑が心配。四畳半じゃ全然鳴らしきれないよ。曲作りたい。
耳が変わりつつある。アコギと歌のみみたいな音楽でも聴けるようになってきた。ビートの無い、テンポ感すらない音楽が好きになってきた。展開しない音楽が好きになってきた。デジタル臭いクッキリシャッキリした音よりも、甘くて柔らかいボケたような音が気持ちいい。1960,70年代の電子楽器を使った音楽をもっと聴きたい。80年代は相変わらず食わず嫌い。どうにもバブリーな感じが苦手。つい最近まではほんとに現在の音楽しか聴いてなかったから気付かなかったけど、現在進行形の音楽は、ほとんどが過去の焼直しに過ぎないような気がしてきてる。もっともっと聴き込んでいけば確信に変わるのかね。その確信はもしかして絶望に繋がってる?